紅葉の京都へ

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昨日、京都へ行ってきました。見返り阿弥陀仏で有名な永観堂は、紅葉(もみじ)の永観堂と言われてて、京都で1~2位の紅葉時期の名所ですが、めっちゃクチャな人出でした。でも綺麗でしたよ。

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京都では、黒谷さんと呼ばれる金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)にも寄りました。。幕末京都守護職会津藩の本陣となり、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置いたそうで、いわゆる新選組ゆかりの地でもあります。

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真如堂も紅葉の名所です。正式には真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)という、天台宗の寺院です。

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その後は、少し足をのばして、叡山鉄道へ、「紅葉のトンネル」は、車窓から綺麗でしたが、一瞬でした(笑)

帰りの叡山鉄道、、、いつも、拙者もお世話になってるクラブツーリズムのの団体様の爺婆でめっちゃ混んでた(笑)

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纏向遺蹟発掘調査現地説明会がありました。。。

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ま、地べたを掘ったら何かが出てくる我が纏向です。

現地説明会がありました。拙者がもう50年以上前に通ってた「旧・纏向小学校跡地」です。餓鬼の頃はここは、何があったかなあ、、、てなことを思いながら拝見しました。この小学校の跡地、何かに活用されるのかなあ、、、。我が住まう桜井市にはそんな財力はないか、、、()、、、( ;∀;)゜ガクッ、、、。

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3世紀頃の古墳の跡らしいです。

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正倉院展は後日に、、、頭塔、奈良市写真美術館

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今日は、、、朝から雨、JR奈良駅前のコーヒーショップで思案六法()

悩むは2択、

紅葉の京都(永観堂の紅葉)か、、、

奈良に留まって今年の正倉院展か、、、

スマホで京都の紅葉スポットを検索。永観堂は「色づき始め」、、、で、結局、奈良国立博物館のある奈良公園へ雨の中をトボトボ向かう。。。が、長蛇の列(40分待ち)、、、「待つ」ということが苦手な性格につき、あっさりパス。

で、向かったのが高畑にある「頭塔」"ずとう"と読みます。奈良東大寺二月堂で有名な「お水取り」を始めた実忠が作ったといわれる仏教施設かな、、、。

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■史跡 頭塔  秋の特別公開実施について

日時:平成291028日(土曜日)~1113日(月曜日)

概要:特別公開の期間限定でガイドが常駐し、頭塔について説明を行います。

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後ろに、ウィキペディアの解説貼っときます()

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で、高畑に来れば、次は、奈良市写真美術館。久しぶりに入江泰吉先生の写真でも見るかと館内に入ると、そこに、懐かしい顔が、かっての同僚だったM川君夫妻に会う。メールでは会話するが、本人に会うのは久しぶり()。立ち話程度だったが旧交を温める()、二人も正倉院展の時間待ちらしい。

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その後は、奈良の仏像の写真を見て、映像ルームでビデオを見て、奈良町を散策後に電車に乗る。と、M川君からショートメールが来る。「正倉院展が、待ち時間5分」残念。。。

日帰り温泉でホッコリして帰宅。ゆっくり過ぎた一日でした。


■頭塔(ウィキペディア)

頭塔(ずとう)は、奈良市高畑町にある土製の塔。130m、高さ10m7段の階段ピラミッド状の構造をしている。奈良時代の建造で、東西南北の各面に石仏を配置する。1922年(大正11年)、国の史跡に指定された。頭塔は盛土の表面を石で覆い、44体の石仏を配した日本では稀有の仏塔である。『東大寺要録』の記録では、奈良時代の僧、実忠によって造営されたという。そこでは「土塔」(どとう)と表記されている。一方で、平安時代の『七大寺巡礼私記』以来の、玄昉の首塚である、という伝承もある。「どとう」が転訛して「ずとう」と称されるようになり、玄昉首塚説との関連で、「頭塔」という漢字が当てられたものと考えられる。

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↓ 奈良市写真美術館公式HP

http://irietaikichi.jp/

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柳生の里の大日如来様に、、、、、会えず、、、

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秋雨前線もちょっと一休みの昨日は、柳生方面へ。

目的は、円成寺の国宝で有名な運慶作「大日如来」様にお会いすること、、、。

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しかし、しかしである、しかしが2回も起こったのである。拝観料を払って、本堂に入ると、なななんと、ご本尊様は、大日如来様の定番の印相である「智拳印」ではなく、定印を結ばれておられる、それも、阿弥陀如来様の定番「阿弥陀定印」である。拙者のつたない知識では、たしか大日如来様は、座禅の時に組む「定印」のケースはあるが、指で輪っかをつくる、阿弥陀定印は、、、。無いよなあ、、、本尊をご案内する札もなく、“しかし”パンフレットを見ると、、、この方は、本尊の阿弥陀如来様で、大日如来様は「多宝塔」におられるとのこと、早とちり、恥ずかしい。

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     大日如来様         阿弥陀如来様

阿弥陀如来様に、お詫びを申し上げ、多宝塔へ移動。ところが本来公開されている、多宝塔の中がのぞけない、、、。おまけに、木製の重しのようなものに、「ガラスに近づいて覗いてください」とまで書いてあるのに、、、。しかたなく、受付まで戻って年配の女性に聞くと、なななんと、、、、2回目の“しかし”である(笑)、「ええ、大日如来様は、ただ今、東京の展覧会に、、、」て、出張中かよ(涙)

わざわざ、名阪国道「福住インター」経由で、猪か熊か鹿が飛び出しそうな県道186号の細っそい山道を超・非力なタントで恐る恐るやってきたのに、、、。だいたいが、先々週の京都行で智積院の長谷川等伯親子の作・国宝「楓図」も、出張中だったし、、、ついてないわトホホ。。。

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で、帰り道は、奈良市内へ出て、コスモスで賑わっていた、「般若寺」をのぞいて、帰ってきましたよ、なんか、いまいち、スッキリしない半日でした(笑)

追伸  

なお、円成寺のもう一つの国宝である春日移し(春日大社の御造替で円成寺境内に鎌倉期に移設された)の「春日堂・白山堂」は、建造物につき、出張はされておられませんでした。(笑)

おまけに、山門前の庭園が綺麗で、これからは、紅葉がひときわ映えるかも。。。なんでも、「大日如来様」は、12月中旬?頃まで、出張中とか、、、。事前に、お電話で確認された方がええよ(笑)寺の公式HPには載ってないみたいです。

【円成寺】

円成寺(えんじょうじ)は、奈良市忍辱山町(にんにくせんちょう)にある真言宗御室派の寺院。山号は忍辱山(にんにくせん)、本尊は阿弥陀如来。奈良市街東方の柳生街道沿いに位置する古刹で、仏師・運慶のもっとも初期の作品である国宝・大日如来像を所蔵する。正門にあたる楼門の前には平安時代の面影を残す、池を中心とした浄土式庭園(名勝)が広がる。国宝の、春日堂・白山堂は、本堂の脇に建つ2棟の社殿で、2棟とも同規模・同形式である。安貞2年(1228年)の再建といわれる。春日造社殿の現存最古の例として国宝に指定されている。明治初期の神仏分離令による破壊をまぬがれるため、仏堂風に「堂」と称されています

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【般若寺】

般若寺(はんにゃじ)は、奈良市北部の奈良坂ある真言律宗の寺院。山号は法性山、本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。創建は舒明天皇元年(629年)にまでさかのぼる古刹。楼門は、国宝に指定されています。本堂にある「唐櫃」は、鎌倉時代の大般若経の経箱で、南朝の大塔宮護良親王が笠置より吉野へ逃れる際に、身を潜め難を免れたと伝わる。

公式HP

http://www.hannyaji.com/

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東山界隈(泉湧寺、今熊野観音寺、智積院)

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昨日は、秋らしく気持ちの良い気候の中、東山界隈へ、東山連山の麓は京都盆地が一望でき、空気の澄んだこの時期は、眺望がすばらしい。

今回のお目当ては、渡来仏の楊貴妃観音さまと、長谷川等伯の襖絵など、、、。

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【泉涌寺】

御寺泉涌寺みてら せんにゅうじ)は、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派総本山(古義真言宗)の寺院。本尊は釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来の三世仏。

この寺は律を中心として天台、東密(真言)、禅、浄土の四宗兼学(または律を含めて五宗兼学とも)の道場として栄えたそうです。御寺(みてら)とは、この寺が皇室と関わりがふかいことからつけられた尊称ですね。余談ですが、御室仁和寺の御室(おむろ)は、元々、宇多法皇がお住まいの御室御所だったことから御室と呼ばれていますが、やはり皇室ゆかりなんですね。

(楊貴妃観音)

楊貴妃観音さまは、総門を入り参道の左右にいくつかの塔頭を見ながら、長い参道の先にある大門(重文)をくぐり、拝観料をお支払いすると、すぐ左手に楊貴妃観音堂があります。ここの観音菩薩は、玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈って造顕された像との伝承があり、江戸時代はじめころから楊貴妃観音と呼ばれ信仰されているそうです。伏し目がちの美しい観音様です。

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(本尊三世仏)

楊貴妃観音堂を出て大門の正面が仏殿です。ご本尊の釈迦如来(向かって左側)さま、阿弥陀如来(中央)さま、弥勒如来(右側)さまと三体もの仏様の最上位ステージにおられる如来様が、仲よく並んでおられます。この風景は、なかなか珍しいです。この3如来様は、過去、現在、未来をそれぞれ表されているそうです。ちなみに未来を示す「弥勒如来様」は、この寺では如来としてあらわされていますが、結構一つ下のステージの「菩薩」さまとして拝見することが多いのです。お釈迦様が入滅され、56億7千万年後にこの世に如来様として表れて我々を救ってくださるという、気の永い、しかし、ありがたいお話ではありまする。(笑)

仏殿の天井には、禅宗系の寺院の天井に描かれている雲竜図が、ここ密教系の泉涌寺の仏殿に描かれています。

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【今熊野観音寺】

泉涌寺は、大きなお寺ですので、塔頭(子院)が沢山あったようですが、その一つが、西国三十三か所観音霊場巡りの第15番「今熊野観音寺」です。

西国33ケ寺巡りは、観音様(如来様の手前のステージにおられる仏様です)の霊場を巡る巡礼です。ここの観音様は、十一面観音様(秘仏)です。ちなみにご利益は、頭の病気に良いとのことで、拙も賢くなるようにお願いしときましたが、、、この歳じゃ、、、あかんよね。(笑)あ、そうそうボケ封じにもご利益があるとか、よかったよかった。。。

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【智積院】

智積院(ちしゃくいん)、東山区にある真言宗智山派総本山の寺院です。山号を五百佛山(いおぶさん)、寺号を根来寺(ねごろじ)というそうでいろいろ名前がありますなあ。本尊は密教系の宇宙の真理を表すという、金剛界大日如来です。

智積院は、智山派の総本山ですが、その次の大本山寺院としては、千葉県成田市の成田山新勝寺(成田不動)、神奈川県川崎市の川崎大師平間寺(初詣の人出で例年日本一を争う)及び東京都八王子市の高尾山薬王院となっているようで、有名どころが結構あるんだ。

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で、真言宗智山派の。「智山派」は、桜井市(奈良県)にある長谷寺の「真言宗豊山派(ぶざんは)」とともに、弘法大師空海から始まる真言宗(「東蜜」。同じ密教系の天台宗は「台蜜」とも呼ばれる)の中でも「新義真言宗」の系統です。これに対して、「古儀真言宗」では、高野山真言宗、東寺真言宗、醍醐派、善通寺派等々があるそうです。

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と、まあ真言宗の解説は置いといて、

ここ智積院では、特別拝観料を払って、まずは、収蔵庫の長谷川等伯・久蔵父子の作とされる国宝「桜楓図」を観たかったのですが、そのうち「楓図」はなんと京都国立博物館の「国宝展」に出張中とのことでした、、、残念(>_<)、ていうか、京都国立博物館って、お隣にあるんだけど、、、またの機会に。。。

次に、国の「名勝」に指定されている「利休好みの庭」と伝えられる庭園でゆっくり、静かに時間が流れるひと時を過ごしました。やっぱり、この辺まで足を伸ばす東アジアの方々はおられませんので、静かで京都らしい雰囲気をひと時楽しむことが出来ました。

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京都山科を歩いてきました(その一)

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昨日は山科方面へ。

【天智天皇陵】

京都市内の東のはずれと言ったら失礼か、、、。その山科へ、ルートは、奈良からJR京都線で六地蔵へ、地下鉄に乗り換え、御陵(みささぎ)駅下車、ウオーキングの開始。最初に向かったのは、天智天皇陵。あの大化の改新(乙巳の変)の立役者である中大兄皇子(天智天皇)の御陵(ごりょう、みささぎ)です。都会の京都市内の広大な土地は、静寂に包まれていました。

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だいたい、奈良検定の受験勉強に知ったのだが、「聖なるライン」という説があるらしい、京都大学の岸俊男先生が最初に唱えたらしい。耳成山、畝傍山、天香具山の「大和三山」に囲まれ、大極殿などが集まる藤原宮の真ん中を朱雀大路が南北に貫いていて、そのラインに天武天皇陵・持統天皇陵が位置しているという話なのだ。藤原宮の大極殿跡から天武・持統合葬陵までは3.7キロ余りある。さらには北へ58キロもの先に山科の天智天皇陵があるらしい。この、ラインには有力な天皇陵が散在しているというのだが、、、。偶然の一致なんだろうか、それともロマンある何らかの謎が隠されているのか(笑)。

(聖なるライン関連hp)

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO33355510S1A800C1000000?channel=DF280120166609&style=1

天智天皇陵の横に、琵琶湖疏水の看板があったので、それにつられて住宅街を進んだのだが、途中で通行不可の工事看板。かなり遠回りして、毘沙門堂へ。

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【毘沙門堂】

琵琶湖疏水は、毘沙門堂に向かう道で見つけられました。

で、次に向かった、毘沙門堂ですが、もちろん毘沙門天様がおられるから毘沙門堂なんですが、毘沙門天(びしゃもんてん)は、仏教におけるステージは、天部(如来→菩薩→明王→天部)におられる方、フーテンの寅さんでおなじみの葛飾帝釈天の帝釈天もおんなじ天部の仏様です。毘沙門天は、また、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神でられます。四天王でおそろいの時は、は多聞天として表わされているのです

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毘沙門堂は、もともとは、上京区の相国寺の近くにあったそうですが、江戸時代に現在の山科の地に移ったそうです。入口の仁王門には、あうんの仁王様が迎えてくれます。残念ながら本尊の毘沙門天様は秘仏が、お前立は拝見することができます。

毘沙門堂は、紅葉の季節が絶対ベストなんですが、、、その時は、人出が凄いんだろうなあ、、、昨日は、まったくもって、静寂に包まれて、ゆっくり御堂内を拝観させていただきました。

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毘沙門堂(びしゃもんどう)

京都市山科区にある天台宗の寺院。山号は護法山。護法山安国院出雲寺とも称す。本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一であり、山科毘沙門堂、毘沙門堂門跡とも呼ばれる。(ウイッキより)

毘沙門堂の後は、予定では、小野小町ゆかりの随心院から、足を伸ばせて、名刹醍醐寺を予定していたのですが、足が痛くておまけに汗びっしょりで、心が砕けて、地下鉄の駅を見たら、思わず下りのエスカレーターに乗ってしまいました。意気地なしです、次回にリベンジです(涙)


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壬生寺は、、、なんか近代的な様相です

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広隆寺のある太秦から東に向かう、それもトボトボと炎天下の中です。近くを走る「JR嵯峨野線」か、「嵐電」に何度乗ろうかと、心と体が暑さに挫けそうですが、とりあえず、四条通りを越えて、阪急電車のちっちゃなガードを潜ったところがあの新撰組で有名な壬生寺でした。

しかし、なんか京都のど真ん中にあるので、先日の本能寺さんといっしょで、周りがコンクリートの建物だらけ、おまけに壬生寺が経営する、老健施設に保育園等々手広くビジネスに手を広げておられます。新撰組の隊士が剣術に励んだであろう境内には、福祉関係車両が沢山停まっていました(笑)

壬生寺、、、

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「みぶでら」は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の仏教寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。(ウイッキペデイア)

、、、奈良の唐招提寺とおんなじ「律宗」なんですねえ、珍しい。。。


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国宝第1号にお会いしてきました(広隆寺弥勒菩薩様)

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国宝第1号で京都の太秦にある広隆寺の「弥勒菩薩様(弥勒菩薩半跏思惟像/みろくぼさつはんかしゆいぞう)」に会いに行ってきました。前日の大雨がスッキリ回復し、京都はまだまだ暑かったです。

そもそも国宝って?、第1号って?、、、先の大戦後に新しい文化財保護法ができてそれまでの国宝が重要文化財とされましたですから、重要文化財も「元国宝」でその中からとくに優れたものが新法による「国宝として新しく指定されたのですね。昭和26年6月その第1回目に181件が指定されたとのことですから、第1号って沢山あるのです、ただし仏像(彫刻)だけでなく、建築物、絵画、書籍、等々もこの時に指定されているんだ、、、^^;。。。

しかし何で、広隆寺の弥勒菩薩様が第1号なんだろうかと素朴に疑問がわきますよね。じつは、先ほどのジャンル別に区分し、まず、彫刻部門でかつ所在地が北から順番に番号が振られたことにより、京都におられた弥勒菩薩様が「彫刻部門第一号」の栄誉(?)に浴されたということみたい、、、です。(ネット情報ですが、、、)で、我らが奈良県民の誇りであります、東大寺の大仏様(盧舎那仏)や興福寺の阿修羅様が一番じゃなかったみたいです。ちなみに建築物では第1号が岩手県の中尊寺の金堂ですからやっぱ北から順番に番号が振られたんだわ。

弥勒菩薩様って、、、

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「生あるものすべてを救う菩薩」で慈悲深い菩薩(如来の一つ手前のステージにおられる)。無償の愛で見返りを求めない。弥勒菩薩は 天上界の兜率天(とそつてん)で修行中ですが、釈迦が入滅後56億7000万年後にこの世に現われ人々を救済すると言われているそうです。しかし56億7000万年後かというのはとても長い話。。。じゃ、お釈迦様が入滅されて、弥勒菩薩が弥勒如来となってこの世に現れる間はどうするねん、、、と言うことになりますが、ご心配なかれ、その間は、地蔵菩薩様が下々を救ってくださるのだそうです。。。なお、56億7000万年に興味をもたれたら下のサイトが参考になるかも(笑)

http://www.saikoji.net/houwa/houwa1205.html

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広隆寺について、、、

広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある真言宗系単立の寺院。山号蜂岡山。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は、京都三大奇祭として知られるが、近年は不定期開催となっている。(ウイキペデアより)

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近くの神社で珍しい鳥居が、、、(蚕の社)

広隆寺を出て、東に向いて次に目指すは、壬生寺なんですが、途中で、珍しい神社があります。さすがに、渡来系の秦氏にか関わる神社なのかなあ、こんな鳥居は滅多に見ませんよね。

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木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、木島坐天照御魂神社)は、京都市右京区太秦森ケ東町にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ、木島神社)」や「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」とも。古くから祈雨の神として信仰された神社であり、境内には珍しい三柱鳥居があることで知られる。


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