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頭塔"ずとう"・・・今朝の日経新聞より。。。

拙者、まだ、この「頭塔」を写真でしか、見たことないんです。高畑界隈をうろうろするんですが、寄って見ようとしても、鍵がかかってたりして、、、。

 

今朝の、日経新聞に写真入で詳しく載ってました。おまけに電子版では、カラー写真で、、、。

権力闘争の影、幾層にも 頭塔(時の回廊) 古都にそびえ立つ「ピラミッド」 奈良市 2014/9/5 6:30  日経新聞朝刊

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奈良市の東大寺南大門から約1キロメートル南に、ピラミッド状の塔がある。「頭塔(ずとう)」といい、一辺約32メートルの正方形の基壇の上に、石と土が7段の階段状に盛られている。高さは約10メートル。不思議な形もあって長年、奈良時代の僧、玄昉(げんぼう)の首塚と信じられてきた。

 1986年から12年にわたって奈良文化財研究所(奈文研)が北半分を発掘したところ墓や首塚ではなく、奇数段に44の石仏を配置した仏塔だと分かった。現在の姿は、この調査結果に基づいて奈良県教育委員会が復元したものだ。

 玄昉は聖武天皇の信任を得て、吉備真備(まきび)と共に橘諸兄(もろえ)政権を支えた。これに対し、当時衰えていた藤原氏の勢力回復をもくろんだのが藤原広嗣。だが広嗣は大宰府に左遷され、740年に挙兵するが失敗、処刑される。5年後、今度は玄昉が大宰府の観世音寺に左遷され、そこで没した。

以前は首塚説も

 すると不気味な噂が流れ始める。玄昉の死は広嗣の怨霊によるもので、観世音寺の落慶法要の時、雷が落ちて玄昉の姿が突然消えた。天に舞い上がった彼の首は興福寺に落ち、弟子たちが埋葬した。その場所が頭塔だというのだ。

 この伝説が最初に登場する文献は1140年に書かれた大江親通の「七大寺巡礼私記」。「玄昉の頭を埋めたため頭塔と名が付いた」と記している。その後、今昔物語集や平家物語、源平盛衰記などにも紹介され、徐々に広まったようだ。伝説がなぜ生まれたのかは定かではないが、激しい権力闘争が人々に強い印象を与えた様子がうかがえる。

 今では、この塔は当初「土塔(どとう)」と呼ばれていたが、なまって「ずとう」になったと考えられている。だが首塚伝説の影響もあるだろう。江戸時代、ここにあった寺院は頭塔寺とも呼ばれ、すでに頭塔の呼び名は定着していた。奈良市のボランティアガイド、門口誠一氏も「発掘や復元が行われるまで一帯は『頭塔の森』と呼ばれていた」と話す。

 実は東大寺に伝わる記録に頭塔が登場する。同寺の僧、実忠が767年、国家安泰や称徳天皇(孝謙上皇が重祚<ちょうそ>=再び皇位についた)の長寿を祈るために造営したという。

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■一度築き再造営

 だが発掘では、760年ころに一度築かれたものの数年後に壊され、その上に再造営されたことが判明した。最初の頭塔は3段構造だったという。

 最初の塔は誰が何のために造ったのか。当時、奈文研で発掘を担当した岩永省三・九州大学総合研究博物館副館長は「病床にあった光明皇太后の平癒祈願のため、娘の孝謙上皇が築いた」とみる。

 近鉄奈良駅から奈良交通バスに乗り破石町下車、徒歩すぐ。見学は、管理している仲村表具店(()0742263171)に前日までに予約が必要。

 完成後まもなく光明皇太后は死去している。祈願のための塔の造営が急務だったことを物語るように「石積みは荒く、ゆがんでいた」という。

 では再造営された事情は何か。このころ孝謙上皇と道鏡のコンビが権勢を振るい始め、反発した藤原仲麻呂による乱が764年に起きている。頭塔が築き直されたのはこの乱の3年後。塔の造営に激しい権力闘争が影を落としているのは、単なる伝説ではなかったといえそうだ。

<より道> 東大寺・新薬師寺との関係注目

 頭塔は奈良市中心部の高台の外れにある。見学用デッキが整備され、若草山や生駒山を遠望することもできる。

 この場所は孝謙上皇の父、聖武天皇が造営した東大寺の中心軸の南の延長上に位置する。また同上皇の母、光明皇后が聖武天皇の病気平癒を願って建立した新薬師寺の西北西にもあたる。

 「新薬師寺の真西にしたかったのだろうが、ここより南だと低地になり、眺望が悪い。両親の関わった両寺との位置を意識した、ぎりぎりの場所選定だったのではないか」と渡辺晃宏・奈文研都城発掘調査部史料研究室長は推測する。

 孝謙上皇は当時の日本で主流だった五重塔などとは全く違う、土と石の仏塔を造った。異様に見えるが「こうした仏塔は唐では一般的。唐の流行を取り入れたのでは」と岩永省三・九州大学総合研究博物館副館長。渡辺室長も「両親へのコンプレックスから、両親と同様の建築様式は避けたのかも」と推測する。

 周囲にある東大寺や新薬師寺などの寺院も、頭塔を意識しながら訪れると、ちょっと変わった光景が見えてくるかもしれない。

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コメント

堺に行基建立の土塔(堺市中区土塔町!)があります。
以前は、わずかに瓦の層が見える草の小山でしたが、
数年前に復元されてしまい、今では品のないレプリカになってしましました。
なお、南海バスは土塔バス停をなぜか「どーと」とアナウンスしています。

投稿: momo | 2014年9月 8日 (月) 13時50分

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