« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »

2017年6月

善峯寺の紫陽花、、、(京都洛西へ)

1_2

今朝の奈良は雨、、、午後から回復というが、、、この時期は紫陽花であろう、、、で、どこへ行くか、ま、奈良なら矢田寺、久米寺が紫陽花の名所、最近はまっている京都なら、まずは圧巻の三室戸寺、で、次は、大原の三千院とつたない知識で考えるも、いずれも行ったしなあ、それも紫陽花で、、、(笑)

2

スマホでヤフー検索、「京都、紫陽花」でググると3位が、京都の洛西「善峯寺」。

大阪駅から、阪急で東向日駅下車午後2時過ぎの阪急バスに乗る。なんと、1時間に一本でそれが最終バス、「嫌な予感」と一人ごちるも、所要時間30分の車中は、不思議なことに終点「善峯寺」で降りたのは、拙者と若者1人。

早速、帰りのバスの確認を、、、な、な、なんと、乗ってきたバスが折り返しの最終って、、、それも10数分後に発車って、、、お寺(善峯寺)は山の上。。。

再び、そのバスで「阪急西向日駅まで」帰るか、さそれとも意を決して、歩いて降りるか、、、。一応、タクシーの電話番号を書いた看板があるにはあるが、、、。

で、ま、午後の3時過ぎだし、ここまでの交通費も使ったし、、、善峯寺へ参ることに。「帰りは何とかなるさ」と、紫陽花見物に

 3 4

【善峯寺】

公式hp  http://www.yoshiminedera.com/

善峯寺(よしみねでら)は、京都市西京区大原野にある寺院。山号は西山。西国三十三所第20番札所。善峰観音宗(天台宗系単立)。桜や紅葉の名所になっているとともに境内各所から京都市街、比叡山を一望できる。

寺に伝わる『善峯寺縁起絵巻』(江戸時代)等によれば、長元2年(1029年)、源信の弟子にあたる源算が創建したという。その後、長元7年(1034年)には後一条天皇から「良峯寺」の寺号を賜った。鎌倉時代初期には慈円が住したことがあり、このころ後鳥羽上皇直筆の寺額を賜ったことによって寺号が善峯寺と改められた。青蓮院から多くの法親王が入山したため「西山門跡」と呼ばれた。応仁の乱に巻き込まれて伽藍が消失したのち、江戸時代になってから桂昌院の寄進によって再興された。

とのこと。。。ウイッキより引用

 5   6

(あとがき)

で、そのあとですが、小一時間ほどお寺を散策。。。お寺の山門を出て、トボトボとこの後のことを考えて悲壮感を抱いてバス停に戻ってみると、、、再び、な、な、なんと、タクシーが1台。誰かが呼んだんだろうなあ、「拙者も呼ぶか、、、もったいないけど、、」てなことを考えて近づいて、「予約ですか」と聞くと女性のドライバーが「いいえ乗れますよ」と優しいお言葉、、、感激。。。

車中でお話を聞くと、「通年を通して、最終バスが早いこと」、「歩いて駅まで3時間近くかかること」、「春の桜、秋の紅葉、土日はとても車が動かないこと」等々を、教えてもらいました。交通機関を利用して善峯寺へ行かれる方に申し上げます、くれぐれも、午後からゆっくりなんて考えず、早朝に、行かれることを。また、ドライブで行かれる方に申し上げます、行楽シーズンの土日なんか、道が細くてとてもじゃないですが、たどり着けませんよ(笑)


にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

法華寺の秘仏「十一面観音菩薩様」が期間限定の御開帳でした。

11

ふぢはら の おほき きさき を うつしみ に あひ みる ごとく あかき くちびる

秋艸道人(会津八一)南京新唱より

「藤原の大き后をうつしみに相見るごとく赤き唇かな」

藤原時代のあの光明皇后(聖武天皇皇后)を実際に目のあたりに見るような生き生きとした美しい赤い唇の色であることよ。

12

今日は、光明皇后様をコピーしたとされる、ご本尊十一面観音菩薩様の年2回(春は、6月5日~6月10日、秋は、10月25日~11月10日って、チラシには書いてありましたが、、、直接確認してね)の特別開扉の日。行ってきました(笑)。

13

法華寺は、奈良市の法華寺町にあります。奈良時代には日本の総国分尼寺とされたそうです。本尊は十一面観音菩薩様。開基は光明皇后とされています。真言律宗に属していましたが、平成11年光明宗となったそうです。

14

詳しくは、こちら↓

http://www.hokkeji-nara.jp/

会津 八一

(あいづ やいち、會津八一)明治14年生まれ。歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人。法隆寺をはじめ、奈良の美術を愛し、その美を広く全国に伝えようと活動した。27歳で初めて奈良を訪問して以来、生涯35回にわたって奈良を訪問。その感動を歌に詠み、書を書き、出会った古仏については、論文にまとめた。八一の自筆歌碑が奈良県内に多く残されている。


にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

海龍王寺で十一面観音にお会いしてきました

23

しぐれ の あめ いたく な ふり そ こんだう の はしら の まそほ かべ に ながれむ」 


 秋艸道人(会津八一)南京新唱より

(時雨の雨いたくな降りそ金堂の柱のま赭壁に流れむ)

時雨の雨よそんなに激しく降ってくれるな。この古寺の柱に塗ってある赤の顔料が壁に流れて染みてしまうでしょうから。

22

法華時の横の海龍王寺も覗いてきました。

21

海龍王寺(かいりゅうおうじ)は、奈良市法華寺北町にある真言律宗の寺院です。本尊は十一面観音。聖武天皇の奥様、光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺(すみでら)の別称があるそうです

木造十一面観音立像様が御本尊さまです。鎌倉時代の像ですが、永らく秘仏でしたので、金泥もほとんど残っており素敵な菩薩様です。う~ん腰のひねられた立ち姿なんて、クラクラしそうですよ、、、って、ばちあたりなことを考えてはいけません。

五重小塔国宝です。西金堂内に安置。相輪を含む総高4.01メートル(相輪を除く高さは2.85メートル)の小塔ですが、工芸品ではなく「建造物」として国宝に指定されています

公式hpはこちら↓

http://www.kairyuouji.jp/other/sp1.html

   24   25

会津 八一

(あいづ やいち、會津八一)明治14年生まれ。歌人・美術史家・書家。雅号は、秋艸道人。法隆寺をはじめ、奈良の美術を愛し、その美を広く全国に伝えようと活動した。27歳で初めて奈良を訪問して以来、生涯35回にわたって奈良を訪問。その感動を歌に詠み、書を書き、出会った古仏については、論文にまとめた。八一の自筆歌碑が奈良県内に多く残されている。

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

秘仏「談峯如意輪観音像」公開中、、、談山神社(桜井市)

1

久しぶりに、我が町桜井市のネタでblog更新です(笑)

談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市の多武峰(とうのみね)にある神社。祭神は中臣鎌足(談山大明神・談山権現)。桜と紅葉の名所である。神仏分離以前は寺院であり、多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)といった。

と、まあ、ウイッキの解説の冒頭はこんな感じ。

 

2

あの、大化の改新で中大兄皇子と栄華を誇った藤原氏の始祖である中臣鎌足が、蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)父子を滅ぼした「大化の改新」、、、今は、学校の歴史では、「乙巳の変(いっしのへん)」と教えるらしい。の謀議の舞台がこの談山神社の裏山らしい。謀議を談合した山だから、談山でそこにあるのが、談山神社でございますが、昨日は、「如意輪観音」様に、会いに行った次第。如意輪観音様は、もちろん、仏教の世界の仏様なのに、神社におられる、、、ま、談山神社はもともとは、「妙楽寺」というお寺だったのであります。

3

一応、この如意輪観音さまは、秘仏であらせますので、公開の時期がありまして、ただいま公開中、7月末までお会いできますよ。

詳細は、以下の、ホームページでご覧ください。

優し気な仏様です、、、。(特に、仏女には、)おすすめです。

http://meguru.nara-kankou.or.jp/inori/hihou/tanzanjinja/event/ritiav0pie/

にほんブログ村 旅行ブログ 街道・古道へ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

« 2017年5月 | トップページ | 2017年7月 »