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2017年9月

京都山科を歩いてきました(その一)

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昨日は山科方面へ。

【天智天皇陵】

京都市内の東のはずれと言ったら失礼か、、、。その山科へ、ルートは、奈良からJR京都線で六地蔵へ、地下鉄に乗り換え、御陵(みささぎ)駅下車、ウオーキングの開始。最初に向かったのは、天智天皇陵。あの大化の改新(乙巳の変)の立役者である中大兄皇子(天智天皇)の御陵(ごりょう、みささぎ)です。都会の京都市内の広大な土地は、静寂に包まれていました。

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だいたい、奈良検定の受験勉強に知ったのだが、「聖なるライン」という説があるらしい、京都大学の岸俊男先生が最初に唱えたらしい。耳成山、畝傍山、天香具山の「大和三山」に囲まれ、大極殿などが集まる藤原宮の真ん中を朱雀大路が南北に貫いていて、そのラインに天武天皇陵・持統天皇陵が位置しているという話なのだ。藤原宮の大極殿跡から天武・持統合葬陵までは3.7キロ余りある。さらには北へ58キロもの先に山科の天智天皇陵があるらしい。この、ラインには有力な天皇陵が散在しているというのだが、、、。偶然の一致なんだろうか、それともロマンある何らかの謎が隠されているのか(笑)。

(聖なるライン関連hp)

https://style.nikkei.com/article/DGXBZO33355510S1A800C1000000?channel=DF280120166609&style=1

天智天皇陵の横に、琵琶湖疏水の看板があったので、それにつられて住宅街を進んだのだが、途中で通行不可の工事看板。かなり遠回りして、毘沙門堂へ。

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【毘沙門堂】

琵琶湖疏水は、毘沙門堂に向かう道で見つけられました。

で、次に向かった、毘沙門堂ですが、もちろん毘沙門天様がおられるから毘沙門堂なんですが、毘沙門天(びしゃもんてん)は、仏教におけるステージは、天部(如来→菩薩→明王→天部)におられる方、フーテンの寅さんでおなじみの葛飾帝釈天の帝釈天もおんなじ天部の仏様です。毘沙門天は、また、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神でられます。四天王でおそろいの時は、は多聞天として表わされているのです

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毘沙門堂は、もともとは、上京区の相国寺の近くにあったそうですが、江戸時代に現在の山科の地に移ったそうです。入口の仁王門には、あうんの仁王様が迎えてくれます。残念ながら本尊の毘沙門天様は秘仏が、お前立は拝見することができます。

毘沙門堂は、紅葉の季節が絶対ベストなんですが、、、その時は、人出が凄いんだろうなあ、、、昨日は、まったくもって、静寂に包まれて、ゆっくり御堂内を拝観させていただきました。

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毘沙門堂(びしゃもんどう)

京都市山科区にある天台宗の寺院。山号は護法山。護法山安国院出雲寺とも称す。本尊は毘沙門天。天台宗京都五門跡の一であり、山科毘沙門堂、毘沙門堂門跡とも呼ばれる。(ウイッキより)

毘沙門堂の後は、予定では、小野小町ゆかりの随心院から、足を伸ばせて、名刹醍醐寺を予定していたのですが、足が痛くておまけに汗びっしょりで、心が砕けて、地下鉄の駅を見たら、思わず下りのエスカレーターに乗ってしまいました。意気地なしです、次回にリベンジです(涙)


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壬生寺は、、、なんか近代的な様相です

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広隆寺のある太秦から東に向かう、それもトボトボと炎天下の中です。近くを走る「JR嵯峨野線」か、「嵐電」に何度乗ろうかと、心と体が暑さに挫けそうですが、とりあえず、四条通りを越えて、阪急電車のちっちゃなガードを潜ったところがあの新撰組で有名な壬生寺でした。

しかし、なんか京都のど真ん中にあるので、先日の本能寺さんといっしょで、周りがコンクリートの建物だらけ、おまけに壬生寺が経営する、老健施設に保育園等々手広くビジネスに手を広げておられます。新撰組の隊士が剣術に励んだであろう境内には、福祉関係車両が沢山停まっていました(笑)

壬生寺、、、

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「みぶでら」は、京都市中京区壬生にある律宗大本山の仏教寺院である。本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺(三井寺)の僧快賢である。中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる「大念仏狂言」を伝える寺として、また新選組ゆかりの寺としても知られる。(ウイッキペデイア)

、、、奈良の唐招提寺とおんなじ「律宗」なんですねえ、珍しい。。。


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国宝第1号にお会いしてきました(広隆寺弥勒菩薩様)

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国宝第1号で京都の太秦にある広隆寺の「弥勒菩薩様(弥勒菩薩半跏思惟像/みろくぼさつはんかしゆいぞう)」に会いに行ってきました。前日の大雨がスッキリ回復し、京都はまだまだ暑かったです。

そもそも国宝って?、第1号って?、、、先の大戦後に新しい文化財保護法ができてそれまでの国宝が重要文化財とされましたですから、重要文化財も「元国宝」でその中からとくに優れたものが新法による「国宝として新しく指定されたのですね。昭和26年6月その第1回目に181件が指定されたとのことですから、第1号って沢山あるのです、ただし仏像(彫刻)だけでなく、建築物、絵画、書籍、等々もこの時に指定されているんだ、、、^^;。。。

しかし何で、広隆寺の弥勒菩薩様が第1号なんだろうかと素朴に疑問がわきますよね。じつは、先ほどのジャンル別に区分し、まず、彫刻部門でかつ所在地が北から順番に番号が振られたことにより、京都におられた弥勒菩薩様が「彫刻部門第一号」の栄誉(?)に浴されたということみたい、、、です。(ネット情報ですが、、、)で、我らが奈良県民の誇りであります、東大寺の大仏様(盧舎那仏)や興福寺の阿修羅様が一番じゃなかったみたいです。ちなみに建築物では第1号が岩手県の中尊寺の金堂ですからやっぱ北から順番に番号が振られたんだわ。

弥勒菩薩様って、、、

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「生あるものすべてを救う菩薩」で慈悲深い菩薩(如来の一つ手前のステージにおられる)。無償の愛で見返りを求めない。弥勒菩薩は 天上界の兜率天(とそつてん)で修行中ですが、釈迦が入滅後56億7000万年後にこの世に現われ人々を救済すると言われているそうです。しかし56億7000万年後かというのはとても長い話。。。じゃ、お釈迦様が入滅されて、弥勒菩薩が弥勒如来となってこの世に現れる間はどうするねん、、、と言うことになりますが、ご心配なかれ、その間は、地蔵菩薩様が下々を救ってくださるのだそうです。。。なお、56億7000万年に興味をもたれたら下のサイトが参考になるかも(笑)

http://www.saikoji.net/houwa/houwa1205.html

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広隆寺について、、、

広隆寺 (こうりゅうじ)は、京都市右京区太秦にある真言宗系単立の寺院。山号蜂岡山。蜂岡寺(はちおかでら)、秦公寺(はたのきみでら)、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。国宝の弥勒菩薩半跏像を蔵することで知られ、聖徳太子信仰の寺でもある。毎年10月12日に行われる牛祭は、京都三大奇祭として知られるが、近年は不定期開催となっている。(ウイキペデアより)

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近くの神社で珍しい鳥居が、、、(蚕の社)

広隆寺を出て、東に向いて次に目指すは、壬生寺なんですが、途中で、珍しい神社があります。さすがに、渡来系の秦氏にか関わる神社なのかなあ、こんな鳥居は滅多に見ませんよね。

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木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ、木島坐天照御魂神社)は、京都市右京区太秦森ケ東町にある神社。式内社(名神大社)で、旧社格は郷社。通称は「木嶋神社(このしまじんじゃ、木島神社)」や「蚕の社(かいこのやしろ、蚕ノ社)」とも。古くから祈雨の神として信仰された神社であり、境内には珍しい三柱鳥居があることで知られる。


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思わぬ出会い(観音寺の国宝「十一面観音様」)

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一休寺酬恩庵からの帰り道を生駒方面へ進んでいると、同志社大学京田辺キャンパスを過ぎたあたりの近く、周囲が田んぼと林の中に、ポツントお寺が、、、一応大きな看板あり。。。

「国宝?」「観音寺?」思わず車を向けました。私以外はご夫婦の車一台のみで、残りゼミの声が聞こえる静けさ。ほんと、周りに何にもない寂しい寺かな(失礼 <(_ _)> )。一応、本堂と釣鐘があるのですが、、、。で、うろうろしてると、受付らしき建物から住職が、拝観なら「本堂の前で待っててください」とのこと、私一人が本堂に上げてもらいました。住職がいきなり、御簾の扉を開けてこっちへ来いとのこと、目の前におられたのが、等身大の天平の仏様「十一面観音菩薩像」でした。住職の解説を聞きながら真近に、それも、天平の、国宝の観音様を、、、見られるなんて、、、感謝感激 わおー !(^^)! (感涙)

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国宝の観音菩薩様は、日本に(もちろん国宝ですから外国にはありませんが、、、)7体。その一つがこんな田舎のちっちゃなお寺の本堂におられますとは、、、(重ね重ね失礼 ^^; )

美しいお顔の仏様でした、、、私の地元桜井の聖林寺の十一面観音様(もち国宝です)にそっくり。。。ドライブがてらにいかがですか必見です(笑)  拝観料400円、御朱印300円をお忘れなく。。。

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【二月堂お水取りの竹送り】

東大寺二月堂の恒例「お水取り(修二会、十一面観音悔過会とも)」に使われるお松明の竹は、このお寺の里から、奈良東大寺まで運ばれるそうです。 ↓ 関連hp

http://milky.geocities.jp/kyotonosato/kyoto/02/takeokuri08.html

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京田辺までプチドライブ、、、酬恩庵一休寺

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昨日は、午後からお暇ができた。京都へ電車で出かけて神社仏閣名所を2、3か所廻るにはすでに時遅し。で、色々、考えた挙句に、奈良県のほんのそば、京田辺市へ。目的地は、あの一休さん(一休宗純)ゆかりのお寺「酬恩庵一休寺」へ。移動手段はクルマ(愛車の軽四タント)です。桜井→奈良市→木津川IC→(京奈和道)→田辺西IC→一休寺へ一時間程度のドライブでした。

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この日は平日でもあり、酬恩庵は訪れる人も少なく、静寂の中にちょっと季節が遅い蝉の声だけが聞こえていました。緑色の楓が一面に、一部で赤くなっている枝もありますが、紅葉の季節はまだまだでしょうね、ま、紅葉の季節には、この寺もこんな静かに拝観できることはできないと思いますが。酬恩庵庭園は国の名勝に指定されています。庭師さんが丁寧に木々を選定されておられ、実に美しいたたずまいをした寺院であります。狩野探幽の障壁画なども見ることができます。

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【酬恩庵一休寺(しゅうおんあん・いっきゆうじ)】

京都府の京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。一休寺(いっきゅうじ)、薪(たきぎ)の一休寺とも称される。枯山水の石庭や一休宗純の木像のほか、納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名。正応年間(1288 - 1293年)に南浦紹明が開いた妙勝寺が前身である。元弘年間(1331 - 1334年)に兵火にあって衰退していたのを、康正2年(1456年)に一休宗純が草庵を結んで中興し宗祖の遺風を慕い師恩に酬いる意味で酬恩庵と号した。その後、一休は文明13年11月21日(1481年12月12日)、88歳で亡くなるまでをここで過ごし臨終の際には「死にとうない」と述べたと伝わる。なお、金春禅竹が総門のまえで一休のために能を演じたという。永禄3年(1650年)、前田利常が伽藍を再興し狩野探幽によって描かれた障壁画43面を納め江戸幕府から朱印状が与えられた。(ウイキペディアより)

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纒向遺跡の見学の最寄り駅「JR 万葉まほろば線 巻向駅」周辺が、気持ち程度、リニューアルされました(笑) 公衆トイレ🚻と、プラットホームの看板かな(笑) w(゜o゜)w

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本薬師寺のほてい葵は今週末が見ごろかな(橿原市)

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今は、奈良市の「西の京」にある薬師寺(やくしじ)が有名ですが、その薬師寺の前身にあたるのがここ本薬師寺です。天武天皇が後の持統天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させたそうで、当時は、金堂や東西に二つの塔がありましたが、今は、その名残も少なく、周囲の休耕田に、地元の小学生たちが育てる、ホテイ葵(あおい)があざやかな紫色に咲き誇っています。

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【本薬師寺のホテイ葵の開花状況】 ↓

http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_nougyou/hanadayori/hoteiaoi.html

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